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猪名野神社

宮ノ前3丁目 




ムクロジ

 
 伊丹郷町の氏神で古くは「野宮(ののみや)」「天王宮(てんのうのみや)」「牛頭天王宮(ごずてんのうのみや)」などと呼ばれ、神仏分離に伴い、1869年(明治2)に「猪名野神社」と改められました。社伝によれば祭神は、猪名野坐大神(いなのにますおおかみ)で、素盞嗚尊(すさのおのみこと)が祀られています。孝徳天皇(36代、597〜654年)の時に、尼崎の猪名寺にあったものを904年(延喜4)に現在の地に移されたと伝わります。その後1150年(久安6)鎮西八郎為朝がこの地に宿して、再建し伊丹氏ほか武門の崇敬を集めていました。江戸時代の領主、近衛家の庇護もあり、郷町の氏神として崇拝されてきました。秋の祭礼「お渡り」は1703年(元禄16)から、先の大戦中を除いて、1955(昭和30)年代まで続きました。その様子は市の指定文化財「猪名野神社神幸絵巻」に描かれており、祭礼の豪華さを偲ぶことができます。
 拝殿前の注連柱(しめばしら)には、右に修理(しゅり)、左に固成(こせい)と刻まれています。この書は昭和天皇の教育係だった杉浦重剛(しげたけ)によるものです。そしてこの四文字は『古事記』の冒頭に出てくる言葉で、その意味は「漂える国を修(おさ)め、理(つく)り、固(かた)め、成(な)せ!」という意味です。
 本殿は1685年(貞享(じょうきょう)2)、領主近衛基X(このえもとひろ)により再建されました。「素木造り(しらきつくり)向唐破風(むかいからはふ)付春日造り」で、前面に幣殿、拝殿を備えて、瑞垣(みずがき)をめぐらし、築330年以上の重要な建造物です。
 2020年(令和2)3月に、本殿、幣殿、拝殿が県の有形文化財に指定されました。
参道両側と境内には酒造家や商人の寄進した石灯籠が98基建ち並び、群を抜いて大きい物は境内中央の大灯籠で1840年(天保11)山口家(大和田屋)の奉献で、石工は田中辰造、新助と記されており、その高さ5m84cmの雄姿をみせています。最古は1643年(寛永 20)の銘があります。地方社としてはこれだけまとまった数の灯籠は珍しく、当時の郷町の繁栄振りが窺い知れます。 猪名野神社の由緒によると境内社が次の15社あり、多くの神々が祀られています。
 新宮神社・天満神社・厳島神社・佐田彦神社・愛宕神社・貴布弥(きふね)神社・塞神社・祓戸(はらえど)神社・熊野神社・護国神社・立田神社・神明神社・大地主(おおとこぬし)神社・稲荷神社。
境内には有岡城のきしの砦の土塁跡、鬼貫句碑、近衛文麿筆(このえふみまろ)筆の碑などがあり、多くの樹木が生い茂っています。

* 有岡城惣構の「きしの砦」の土塁跡・堀跡が一部残存し、1979年(昭和54)に境内全域が国史跡に指定されました。

* 鬼貫句碑 本殿西側に高さ136cmの大きな自然石の鬼貫句碑「鳥は未 口もほどけず 初桜」があります。建立は1854年(嘉永7)秋。酒造家で俳人の山口太乙(たいおつ)、岡田糠人(ぬかんど)、梶曲阜(きょくふ)と陰刻されています。

* ムクロジ 境内は伊丹市の緑地保全地区に指定され、ムクロジ、クスノキ、ケヤキ、イチョウ、クロマツなどが生い茂り、「鎮守の杜」を形成しています。なかでも「ムクロジ」は市の天然記念物に指定されています。樹齢200年以上と推定され、樹高約13.5m、地上2.4mのところで二股に分かれ,それぞれの径は52cmです。ムクロジは落葉高木で、関東以西の比較的暖地に自生しています。葉は偶数羽状複葉で、果実は直径2cmほどの球形で、秋に黄褐色に熟し、サポニンを含む果皮は、石鹸の代用にされました。黒色の種子は数珠や羽根つきの玉として利用されています。

 
鬼貫句碑 大燈籠
               




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